花葬



ぱさり。
花束を供える乾いた音だけが、やけに鮮明に聞こえる。
「母さん、」
膝を折って祈るベルさんの背中。即席で用意された黒い喪服だった。
ベルさんは黒い色を好んでよく着ている。
だから雰囲気的には普段と変わりない、ただ、常に纏う哀しみの空気が、今日は一層強くなっていた。

先ほど葬儀が行われた場所、雑木林の向こうの、白壁の教会を見やる。
雲ひとつない碧空に高くそびえる、純白の塔。
普段なら、コントラストが綺麗だ、とでも思ったかもしれない。
この旅が、ただの観光目的のままだったなら。
しかし目の前には、紛れもなく死者を悼む者の姿がある。
彼の複雑な心情をすべて推し量ることはできない。
ただ、暗い影もなく、幸福そのもののような形をした祈りの場所が、いささか卑怯にさえ感じられた。
しかしこう感じてしまうことも、不思慮なことなのだろう。
彼の最愛の人が失われた、その実感が湧かない。

ふと、雑木林の小道を抜けて歩いてくる一団に、ワトソンは目を留めた。
先ほど教会で出会った彼らは、ベルさんの親戚だったろうか。
僕はベルさんの背中に、そっと声をかけた。

「ベルさん、親戚の方々がみえてますよ」
「え」
僕の声を聞いて、ベルさんは振り返る。
「何処、」
「あそこです」
合図のかわりに、こちらに振られる数人の手。

訪れた彼らは、手にしていた花束を、思い思いに墓前へ置いた。
ベルさんのいとことおぼしき若い人物が、ベルさんを見て親密気に声をかけた。
「いや、久しぶりだね、グラハム」
再会のしるしに彼は背中に手を回したのだが、身体に触れられたとたんベルさんはびくりと震えたので、従兄弟は変な顔をして手を戻した。
続けて、叔母らしき数名の人々が、久方ぶりに会った甥っ子に向けて懐かしそうに声をかける。
「本当、久しぶりね」
「外国に行ったまま帰ってこないものだから」
「お母様はいつも心配してたわ」
母、という響きがベルさんの心の琴線に触れたのだろう。
俯いたまま、とても申し訳なさそうに、彼はぼそりと答えた。
「手紙も滅多に書かず……、悪いことをしたと思っています」
従兄弟は快活な微笑みを見せた。
「きっと許してくださっているよ。
少なくとも君が新天地で社会のお役に立てていることを、たいそう喜んでおられるんじゃないかな」
「社会の、役に……」
これは、ベルさんがまた落ち込んでしまったしるし。長い付き合いで分かっていた。
僕が慰めの言葉を捜して、口を開きかけたとき、
親戚の一人が僕に尋ねた。
「貴方は?」
「え」
最初は何を訊かれたのかわからなかった。
ぽかんとした顔つきの僕を見て、魯鈍ね、というふうに口の端を上げる。
もう一人が、先ほどの内容を詳しく言い直した。
「貴方は、グラハムとどういう関係なのです。何故あなたはここにいるのですか」
それで理解が至った。それは至極真っ当な質問。
ここでは僕はとても場違いな人間だ。何せ彼等の親戚でもなく。誤解を解けるよう言葉を選んだ。
「僕は……、 教授の助手をしている、トーマス・ワトソンと言います。 ベルさんが久しぶりに帰省されるとおっしゃったので、僕も一緒に同行させてもらいました。 ベルさんから、この土地のよさをたくさん聞いていましたので」
どこか言い訳めいた説明だったが、叔母たちは頷く。
「そう、それにしてもちょうどよかったわね。 お亡くなりになる前にそちらへ手紙を送ったのだけれど、それより早かったみたいで」
僕はただ、ええ、とだけ返答した。
こんなときにどんな顔をすればいいのか解らず、あいまいに濁す。

久しぶりの再会だというのに一欠けらの愛想もないベルさんと親戚とは、それ以上話も続かず、
「じゃあ、私達は戻るから」
と言い残し、親戚たちはまた来た道を戻っていった。

ベルさんは去る彼らに目もくれず、ストレスを吐き出すように深く息を吐いた。
僕は見ていられなかった、ベルさんがひどく傷ついているのを。
でも僕にはどうしようもない。この口から出てくる言葉はどれも薄っぺらくて、うそ臭くて、
彼にひと時の安らぎを与えるに過ぎない。
しかし、ベルさんへ真の解放と安らぎを与えられる存在は。

「ベルさん、」
それでも僕は声をかけようとする。愚かな僕は。
他に方策が思いつくわけでもないから、最後には彼が傷つくと知っていても、安直な行為にしか走れない。
「親戚の方とは、」
「……私は彼らとはほとんど会ったことがなかった。
 むしろ母親の死がなければ一生会うこともなかったかもしれない」

そう語るベルさんの瞳からは光が消えていた。
彼はふらりと供えた花束を拾い上げ、白い花びらを千切る。
細い指先から白い花弁が幾片も舞い落ち、それは雪のように積もって、慎ましやかな墓前を彩った。

「ベルさん」
「異国に渡ってからは、ほとんど会ってなかった。
でも心には住んでいたんだね、今は心の支えがなくなって、ひどく空虚な気持ちなんだよ、わかる?」
自嘲気味に言う。
するとふいに身体が後ろに引き寄せられて、ベルは「ひっ」と小さく声を漏らした。
抱きしめられた背中に、くぐもった声がする。
「ベルさんが泣かないなら、僕が泣きます」
後ろから抱きしめられて、伝わってくるのは熱い感情と哀しみ。
助手が自分の母親のために泣く声にひどく心打たれ、ベルも思わず一縷の涙を零していた。


「お母様の代わりというには、とてもおこがましすぎます。
……でも、僕はベルさんといっしょにいます。
いつもみたいに死にたくなっても、必ず僕が傍にいますから」


「主のみ前において、永久に安らかに」
もう一度祈りを唱える。それが天高く届くように、どうか。
「…眠りたもう。 ねえ、母さん」
こうやってずっと近くにいてくれるという人がいる。
いつか彼を受け入れられるだろうか、私は。

再び涙が零れ落ちる、
その雫さえ乾かすような冷たい風に、
墓前に散った白い花弁が四散した。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006.12.29

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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