朝日を見て居た。

 眠れぬ夜を何度も過ごし、眩し過ぎる朝日を何度も何度も何度も何度も。





─夢から届く手紙─





『…眠れてない?』

 ピサロさんからその事を聞いたのは、つい昨日の事だった。

『ああ、もう三日ほど、まともな睡眠をとっていないらしいんだ。
 セザンヌ君には口止めされてたけど、君にだけは伝えておこうと思って。
 …彼には内緒にしておいてね。』
『…何で僕にだけ?』

 僕がそう尋ねると、ピサロさんはいつもの様に仏のような笑みを浮かべるだけだった。


 それにしても、珍しいな。あいつが睡眠不足だなんて。
 女にでもフラれたのだろうか。



 足は自然に、あいつのアトリエの方へと向かう。

 どんな様子だろう。やはり、やつれているのだろうか。
 何か手土産でも持って行った方が良いかな。そんな事を色々考えながら、いつの間にか既にドアの前に立っていた。

 少し緊張しながら、扉を叩く。


「…ああ、君か」

「ちょっと立ち寄ってみた、んだけど」

「そうか。
 汚れているが、上がるか?汚いと言っても、君の所よりはマシだと思うが」
「なっ、余計なお世話だ!!」


 何だ、全然変わらないじゃないか。

 でも、やっぱり顔色が悪いし、目の下には隈が出来ている。


「…何か…顔色が良くない、な。ちゃんと寝てる?」

 少しわざとらしかったが、尋ねてみる。

 不審がる様子もなく、あいつはああと返事をした。


「三日ばかりよく眠れていないが、何、君が気にする事でも無いよ。実際、ほら、この通り元気じゃないか。」

 口角を無理やり吊り上がらせた笑いを作るあいつの顔が、今まで見た中で一番不気味だった。

 やはり、重症みたいだ…。


「三日寝てないって、君、死んでしまうよ。休養を取った方が良い」
「私が死ぬって?勝手に殺すなよ。
 笑える冗談だな、ハハハ」


 わ、笑ってる…。セザンヌが声に出して笑ってる…。
 人は、寝不足の度を越えるとむしろ気分が高揚してしまうものだけれど。
 それにしても怖い。

 今すぐにでも回れ右をして逃げ去りたい衝動を抑え、僕はアトリエに上がり込み、出された紅茶を啜った。


「…眠れない原因とか、さ。わかんないの」
「原因、か…」


 下に隈をこしらえた虚ろな目で、奴はぼんやりと思考に浸る。



「…寝ても、すぐにな。夢を、見るんだ。」
「夢?」


「…手紙だ」


 手紙?

「手紙って、どんな」
「いや、やはり何でも無い。
 こんな事を話しても、馬鹿馬鹿しいだけだ。
 本当は君の言う通り、少し疲れているのかもしれないな。」


 あれ。あっさり認めた…?


「じゃあ、今日はやっぱり休んだら良い」
「いや、そういう訳にも行かないのだ。

 絵画の神様がさっきから私に絵を書け、絵を書けとうるさいのだよ…」

 そう言って、あらぬ方向を見つめるセザンヌ。


「な、なな何が見えてんだよ!!?怖いからやめろよ!!」

「何って、そこに」

「ギャアァァ───!!!」



 続きを聞くのが怖くて、思わず絶叫しながらアトリエを後にしてしまった。


 息切れをしながら、僕は確信する。


 あいつをこれ以上寝不足にさせたら、危険だ!!



………

 後日。

「泊まりがけで共同制作…?また急だな…」
「うん、まぁね」
「しかも私のアトリエでか?許可した覚えは無いが」
「固い事言うなって。
 だって、ほら、君のアトリエには絵画の神様が憑いてるんだろう?」
「…そうか、君も恩恵を受けたければ受けるが良い。」

 やっぱり、見えない何かが見えてるらしい。
 もうその辺りは無視して、僕は再び奴のアトリエに上がった。

「手紙、」

 玄関に上がった所で、奴はポソリと呟く。

「え?」
「何も、来ていないみたいだな。」

「あ、ああ…。そうみたいだね」
「そうだな」




 共同制作、なんていうのは、当然ただの口実だった。

 けれど、あいつも僕がアトリエの中に入っても何か行動を起こす訳でも無く、ただソファに座ってぼんやりしている。

 ゆっくりと、ただ、時間が流れて行く。


 気まずいやら、これからどうしようという考えやらがごっちゃになり、この流れて行く時間が僕には落ち着かなくて、身体がムズムズした。



(あ、)

 しばらくして、セザンヌがウトウトし始める。
 頭が小さく揺れて、まさに舟をこいでいるという状態だ。


 そのまま寝てくれたら、物事は万事解決だ。
 僕は奴に念を送る。


 やがて、僕の念が通じたのか、奴は静かな寝息を立て始めた。

 何だ、案外簡単に片付いたじゃないか。

 僕はベッドから毛布を持ち出し、奴の肩にかけようとした──


 その時だった。



「うわっ、うわあぁ!!」

 奴が突然目を覚まし、頭を上げたものだから背後から近付いていた僕は後ろにのけ反る形になる。

「ん…、何をしているんだ、君」
「な、な、何って、いや、もう何でも無い!!
 それよりも、何で起きちゃうんだよ〜あ〜も〜」
「何をぐずっているんだ…?」


「──また、夢を見た。忌まわしい夢だ」
「夢…」

 本当に鬱陶しそうに頭をかきながら、奴は続ける。

「父から、」

「え、」

「父から、手紙が届く夢だ。」

「父親から?」
「ああ、

 ──夢の中で、私は父からの手紙を開ける。故郷に帰って来い、仕事を継げ、と。似たような内容が延々と綴られている。
 いくら捨てても、それは次々と届けられて来る。それが耐え切れなくなって、飛び起きてしまうのだ…」

 セザンヌの瞳が、影を落とす。
 故郷を脳裏に思い浮かべているのか、それとも頭の中には父親の偶像があるのだろうか。



「…帰りたいのか?」
「ん、」
「故郷に」
「いや、私はこれからも画家として生きて行きたい。家業を継ぐつもりもない。…
 ただ、気掛かりなのだろうな」
「気掛かり…」
「父は、…偉大な人だった。それに背いている事を、まだ気負っているのだよ、きっと。」

 陽がゆっくりと沈んで行く。
 それに伴って、隈の出来た彼のやつれた顔にどんどん影が射して行くのがいたたまれなかった。


「起きてる時は、何をしてるんだ?やっぱり、絵を描いて」
「いや。

 …朝日を、見ていた。」


 燃えるような眩し過ぎる朝日を何度も、何度も。
 罪深い私を焼くように、照らし出すように。


 こすこすと、奴は瞼をこする。

 自分を陽の元に曝す朝日を見ながら、一体彼は何を思うのだろうか。


 とりあえず、この状態からは打破しなければいけないと、心の中で強く思う。
 いつまでも妙な幻覚を見られても困るしな…。


………

 その日の夜は、酒(と言っても、あいつの酒なのだが)を軽く酌み交わした。
 酒を呑んでも同じだ、と、あいつは渋い顔をしながら杯を傾けた。

 君が眠るまで、僕も寝ないでやろう。意気揚々と宣言したのも相空しく、僕はすぐに戦線離脱を決め込んでしまった。

 瞼の裏に、強烈な光が差し込んで、僕は目覚めた。


「あ、寝て…」

「起きたか」


 隈の濃くなった死神のような顔で、奴はこちらを向く。


「あ、うん…。ていうか君、顔ひどいよ。また寝れなかったのか?」
「ああ。三回浅い眠りについて、三回とも起きた。」
「そ、か」

 視線は、窓の外へ向く。
 差し込む光が、彼の青白い頬をさらに白く見せる。
 そのまま、光の中に消えてしまうんじゃないだろうか。たまらなくなった僕は彼の背中にしがみついた。


「、」

 何か言いかけた言葉も、服につける皺を増やすと途切れてしまう。

「…朝日なんか見るな。」

 搾り出すような声で、僕は呟いた。



「は、」
「朝日も、夢も、手紙も、君は見なくても良いんだよ。君は、

 君は、僕だけを見てくれたら良いんだ。」
「…どういう意味だ」
「あ、…っと、その、
 や、やきもちだよ!!やきもちを焼いてんだよ僕は!!
 君の頭の中をいっぱいにさせる父親の事も、手紙も、君がずっと見てるって言う朝日も、憎らしくてしょうがないんだよ!!」


 その場の言い訳、というよりも、ただ喋らないといけないような気がして、僕はただ続けた。
 けれど、突拍子もなく出たでまかせな言葉と言えば、それは嘘になると思う。


「…なぁ、僕だけを見ろよ。」

 最後にそう呟くと、奴は吹き出した。


「朝日にまで嫉妬するのか、君は」
「あ、ああそうだよ!!」

 後ろから抱き付いていたのでわからなかったけれど、その時吹き出した表情は、昨日見たような不自然な笑顔ではありませんようにと、僕は願う。


 しがみついていた腕をほどき、奴は身体をこちらに向ける。
 そうして、向こうからギュ、と抱き付いて来た。


「セザンヌ、」
「…クス」

「へ?」

「…セックスをしたら、いい加減疲れて眠れるかもしれんな。」
「は、はぁ!!?」

 そしてそのまま、ソファに身体を押しつけられた。

 いきなり何を言い出すんだ。
 睡眠不足が祟って、いよいよヤバくなって来たんじゃないか。

「ち、ちょ、そういう事は違う人、そうだ女性としろよ!!わざわざ僕を相手に」
「ついさっき、僕だけを見ろ、と言ったのは君じゃないか。」
「うぐっ…。いや、そういう意味で言った訳じゃ

 う、ぁー…」


 首筋に吸い付かれ、思わず言葉を失う。
 身体の上にのし掛かられて、身動きが取れない。

「や、め」

 牽制の言葉も聞かず、器用な手つきでシャツのボタンを外され、続いて鎖骨に唇を落とされる。


「…んっ、せ、セザンヌッ…


 うぎゃっ!!」
 
 
  優しく愛撫をされていたかと思えば、いきなり頭突きを喰らわされた。
 そしてそのまま、奴は動かない。


「せ…セザンヌこの野郎〜…。人が優しくしてやったら付け上がりやがって…。

 …セザンヌ?」


 セザンヌは眠っていた。


 耳に寝息がかかってくすぐったい。


 今度こそ、ちゃんと眠れているのだろうか。


「お…重い」

 起こさないように、そうっと身体をどけ、ソファに身体を横たえさせると、今度は毛布をかけてやった。


「起きるなよ…。寝ててくれよ…。」

 再び念を送りながら、僕は後退りしてドアの方へ向かう。

 アトリエを出て、静かに静かにドアを閉めると、僕は一息ついた。


「うぅ…寒」

 慌ててはだけたままのシャツを、ボタンを止め直した。
 外はこんなに寒いのに、顔だけが熱い。


 ふっと、視線を足下に落とすと、





 ──手紙が、落ちていた。







 僕が出た時に、ドアに挟まっていたものが落ちたのだろう。


 心臓の鼓動が高まる。
 背中を、嫌な冷たい汗が流れる。


 いや、まさか、そんな事ある訳が。
 頭の中を巡る思考。


 気がつけば、僕はその手紙を手にしていた。


「な、中身までは見ないよ。差出人を、見るだけだ…」



 自分に言い聞かすように、震える手で手紙を裏返した。


 うん、そんなはずは無いよ。どうせ何かのチラシか、別の誰かからの、まさか、








 "Louis Auguste Cezanne"










 ルイ=オーギュスト・セザンヌ

 あいつの父親の名前が、確かにそこに書かれていた。


「…っ!!」


 思わずそれを胸に抱えた。


「っ…は、はぁ…」


 どうしよう。

 僕はこれを、どうすれば良い?



 でも、本当にこの手紙の内容が、故郷に帰って来い、とか、家業を継げという内容だとかは限らないじゃないか。


 けれど、僕はそれをどうしても手放せずにはいられなかった。




………

 全速力で自分のアトリエに戻った僕は、小さなストーブに火をつけた。
 炭があまり無いから、本当に小さな火しか焚けなかったけれど。


 そしておもむろに、ずっと握り締めていた手紙を、そのストーブにくべた。


 わずかな火の力を借りて、手紙がその姿を黒く焦がして行く。




 隈を作った、やつれたあいつの顔を思い出す。

 光を失った瞳を痛め付けるように射す朝日の事も。


 この手紙をあいつが読んだら、どんな顔をするのだろうか。

 燃やしてしまった今では、それは原形を止どめないけれど。



「…これで、良いんだ、よな。うん、良かった、んだ。」


 呪文のように繰り返して、僕はストーブの弱々しい灯を見つめていた。





………

「ルノワール君」

「あ、」


 数日後現れたのは、すっかり顔色の良くなったセザンヌの姿だった。


「顔色、良くなったんだな。あの後、ちゃんと眠れたのか?」

「ああ。
 不思議な事に、もう、あの夢も見なくなった。

 君のおかげだな。」

「へ、」


 僕が間抜けな声を出した隙に、すかさず唇を重ねて来た。


「ちょ、うわ!!お前っ…」

 慌てて胸を押して、身体を離す。






「ルノワール君、心配かけてすまなかったな」

「え、えっと…いや、別に…、別に、心配してた訳じゃないぞ!!」
「そうか

 まぁ、セックスくらいはいつでも出来るからな…。その時はまたよろしく」

「ななな、何がよろしくなんだよ!?全然よろしくないよ!!」

「それよりも、これからピサロさんの所へ行くのだが、君も一緒に来るか?」

「勝手だな君は!!
 何、着いて来て欲しいの?」

「どっちでも」

「じゃあ着いて行ってやるよ」

「ああ、じゃあやっぱり来なくて良い」

「何でだよ!!」

「ならさっさと着いて来るんだな」


 そう言って、踵を返し歩いて行くセザンヌ。

 回復したと思えば、すぐこれだよ…。


 ああでも、良かったな。


 …うん、良かったんだ。


 僕はあいつの背中に向かって駆け始めた。





 あいつの"忌まわしい夢"は、
 今は僕のアトリエの小さなストーブの中で、灰になって埋もれている。













━END




ダストんベイビィの五百蔵穢暇様から、またいただいてしまいました。
嫉妬するルノワールめちゃくちゃ可愛いです! 暗転しそうなところでうっかり寝ちゃうセザンヌも超可愛いです!
本当なんでこんな萌えるんですか…!! ぜひその爪のアカ分けてください。(わりと真剣な目つき)
穢暇様、本当にありがとうございました!





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