繋がり。 人との繋がり。 蜘蛛の糸に似た網目状の、人間同士のコミュニティ。
そこには生ぬるい馴れ合いに満たされた、人と繋がる安心感がある。
時にそれが非常に疎ましくなるときがある。 その時私は、外界から意図的に千切れる。
まず私は、目の前の機械を見る。
四角い木の箱。 側面に大きな丸い穴が開いて、銀の螺子が姿をのぞかせていた。
拳を固く握る。 私が破壊するなら、まず、これから。
この機械―電話と呼ばれる、これこそが、つながりの象徴だ。 人と人を繋ぐ機械。
人間同士の結束を固める、ないし緩めるモノ。 情報を伝達するモノ。 蜘蛛の網目はより強く絆はより固く。
それでいて切るときは簡単なモノ。 落伍者が堕ちていくのは早く、這い上がれない奈落の底へすぐに。
ふと、己のやわな拳じゃ壊せないことに気づき、手近なノコギリを手にして立った。
―そう。
端的に云えば私は蹴落とされるのが怖いのだ。 他人から、そして社会から。
だから、いっそ自分から繋がりたくなくなるのだ。
―じゃあ、なぜ私はこれを造っている?
天使が悪魔を造るようなものだ。 そこに、大いなる矛盾が。
だからその矛盾を破壊しようと、木箱の角に、歯を掛け、
「ベルさん」
振り返ると、部屋の入り口にもたれかかって、助手が立っていた。
「何、してるんですか。」
心配そうな声をかけるのはやめてくれ。 どうせ上っ面だけなんだろう。
否、本当に心配だからだとしてもやめてくれ。
他人の親切心をありのまま受容できるほどの寛容さが、今の私にはない。
呆けていると、ワトソン君は、厳しい目つきをしてカツカツと歩いてきた。
察するに、私のことを心配していた訳ではなかったのだろう。 他人の声色を読み取るのは、苦手だ。
―でも何故だろう、心に残るこの不安感は。
精一杯の抗いのつもりで、迫ってくるワトソン君から顔を逸らし、哀願する。
「放っておいてくれ」
「出来ません。 ベルさん、貴方一体、何しようとしてたんですか。」
答えられない。 なぜだ。喉がつまって言葉が出てこない。
何を、何をどう話せばいいのだろう。
「チッ」
ワトソン君は大きく舌打ちをし、私の手から強引にノコギリをひったくって後ろに投げた。
それは後ろの木材置き場にぶつかり、大きな音を立てて、止まる。
「あのノコギリで、何を切ろうとしていたんですか。」
疑問形だけどワトソン君はちゃんと分かっている。
彼があからさまに背後の電話機に目をやるのが怖くて、身体で視線を塞ごうとしたら、肩をきつく掴まれて動けなくされた。
「ねえ、聞いているんでしょう、」
まさか、「つながりを」といえば分かってくれるだろうか。
否、その答えは私自身がよく知っている。
「ねえ!」
「…誤解だよ、その」
「じゃあそれで手首でも切り落とすつもりだったんですか? 嘘でしょう貴方にそんな度胸あるはずありません。
いいかげんにしてください! ベルさんの造ったものは、僕の造ったものでもあるんです。
貴方の一存で何もかも決めないで下さい。
それともベルさんは、僕が貴方と発明のために費えた時間や労力さえ無駄にするつもりだったのですか」
違う。 そうじゃない。 ただ私は、人と繋がるのが怖かっただけで。
こうやって睨まれることもまた辛い。
そして、それをわかっているのにうまく否定のことばを紡げない私は、脆弱きわまりない生き物なのだ。
今まで溢れずにいた涙腺がついに決壊して、生暖かい塩水がぽろぽろと頬を伝う。
「ごめん……本当にごめん……。 まさか、壊してしまおうなんて、本当に思っては、」
「じゃあ、何をしようとしていたんですか?」
ワトソン君の声はいつになく柔らかいものだった。
だから、完璧に伝わらなくても、せめて自分に聞かせるためにでも、云おうと思った。
( 私は、人とのかかわりを全てあの機械に託して、快刀乱麻に裁ってしまえると思ったんだ。)
「……でも、それは幻想なんだよ。 壊すことはできても、きっといつか蜘蛛の糸に足元を掬い取られる。
今日君がやってきたみたいに、」
「…どうも話が抽象的で不明瞭ですね。」
電話機の損傷ぐあいを確かめながら、ワトソン君はありのままの感想を告げた。
「社会とは折り合いをつけていかなきゃいけない、ということかもしれない……なぁ。」
壁にもたれて座っていた。 ぼんやり見上げる天井は薄汚れている。
( ここを作業所にしてからずいぶん経つのに、ずっと掃除していないから。
)
「要するにベルさんは、人間同士の関わりあいを酷く恐れていて、そのせいで電話機を壊そうと思ったのですね」
「そうかもしれない」
かたん。
不意に、ワトソン君は電話機を机においた。
「ベルさん。 他人がそんなに恐ろしいですか?」
「―時々怖くなるんだ。 知らずにいたら余計な一喜一憂もせずいられるのに」
いつもそんな、自嘲気味な言葉ならいくらでも零れてくる私だった。